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ウコンのこだわり・歴史

ウコンは卑弥呼の時代からありました。幻の女王、卑弥呼はもともと倭人で、中国の王にウコンを献上したという記録があります。魏志倭人伝に書かれている、倭人が体に巻きつけている布は、ウコンで染められたものだといわれています。

また卑弥呼の時代から200年経った5世紀前半の遺跡・月ノ輪古墳(岡山県)から数多くの染め糸が出土しました。それらの糸は、赤、黄、青、緑に染められていました。その染料として、黄色はウコン、緑はウコンと藍をかけ合わせとものではないかと考えられます。

日本でもウコン染めの黄色い風呂敷がありました。和服を包むとき、このウコン染めの風呂敷が使われていました。これには殺菌作用もあるといわれています。それは着物が虫に食われるのを防ぐための生活の知恵だったのですね。虫はウコンの特殊な香気を嫌うとされたといいます。そのためにウコンで染めて嬰児の産着に用いたり、道具類や布帛などの包み布や風呂敷などに使用したりしたといいます。

江戸時代の発明家、平賀源内(1726〜1779)は“江戸のレオナルド・ダ・ビンチ”とも称され、有名な発明家ですが、薬草の研究家としても超一流でした。彼の著書 “物類品隲”の第3巻の中にウコンについての記述があります。

また、この時代は八代将軍、吉宗の治世であり、いまの小石川植物園が薬草園として作られました。暴れん坊将軍も薬草の研究には非常に力を入れていたようですね。

今年のNHKの大河ドラマ「篤姫」でもウコンは大きくかかわっています。幕末の時代、薩摩藩も財政難にあえいでいました。そこで、財政改革に着手し、五百万両ともいう巨大な借金を返済し、その後の10年で50万両という大きな蓄財をなしました。

これは藩主の側近で家老の、調所広郷が主導権を握って実行しました。この中には、抜け荷(密貿易)を厳しく取り締まって稼いだものもあるといわれています。そして、貿易を盛んにしました。その商品の中にウコンが含まれていたようです。

ウコンは当時、藩の専売商品で厳しく管理され、価格も下がらないように、生産調整もされていました。ちなみにウコンの値段は、琉球(沖縄)の農民から買い上げた価格の、44倍で大阪の商人に売っていたという記録があります。まさにボロ儲けですね。

この蓄財で外国の優秀な兵器を買い、その力を以って徳川幕府を倒す原動力にしました。借金だらけのままでは、倒幕どころではありませんからね。